ネオン アンド ストライプス

代表 藤本修一

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neonandstripes

@ybb.ne.jp

ISSUE00

人の営みに連綿と続く普遍性を

自然との調和を求めて

 

SHUのアートワークの代表的なものが「STRIPES」と名付けた作品です。シンプルでミニマルなこの作品は直線引きのネオン管を数列、均等に配置したもので、非常に抽象的です。しかしながら、その真意がなんとはなしに伝わってきます。まるで、薄明かりに誘われるように私たちの都市生活や心のありように溶け込んできます。

こういった、直線引きの作品は、初期作品「BORDER」のタイトルで、彼の大きな転換期の予兆となる鉄の彫刻家との共作にも横組みに配列した作品として、作家としてまたライフワークとしての節目に必ず顔をのぞかせます。

それでは、SHUはこの様式美で何を表現しているのでしょうか。そのキーワードになるのが、自然、ポップ・アートそして国籍や民族など私たちがとらわれがちな人為的に作られたカテゴリーです。

まず、彼が最も愛してやまないのが自然です。サーフィンに没頭していた時期に(今も大切な趣味として時間を作っています)、大きな波に乗り、その醍醐味を感じた後、ふと、「この波はいったいなんだろう」と素朴な疑問が湧いたのです。遥か上空の大気から送り込まれる風、海水の潮流に見られるような回転運動、そして、その土地にある特有の地形などあらゆる要素がかみ合った時にいくつもの波が均等に押し寄せて来るのです。遥か上空からそれを眺めると水面に広がるアンビエントな波紋のように映るのでしょう。

また、ロスアンジェルスの南、ソルトクリークでサーフィンを楽しんでいた時にも不思議な体験をしています。夕焼けの太陽光線や乾燥地帯に珍しい濃霧による気候変化から紫の粒子が浜辺にゆっくり舞い降りるかのように、パープルに染まった浜辺の景色を見たことでした。「そこにいた人々はみんな手を空に掲げ、とても幸せな気分になって楽しんでいた」とこれも、人智では図りしれない自然現象ですが、幾つもの偶然が重なった時に現れるものです。その時、SHUは自然とはなんと見事に調和しているのだろうかと「そして、無条件に幸せにひたる時がある」と感嘆したのです。

 次にポップ・アートについてですが、彼が初めて渡米した87年にキース・ヘリング、ロイ・リキテンシュタイン、アンディ・ウォホールなどの作品に直に触れ、大きな影響を受けます。特に、「色がきれいで線が楽しそうな」キース・ヘリングの作品にはひとしおの思い入れがあります。「一目みただけで理解できる単純さとメッセージ性」に強く惹かれます。人々の生活の中で、とても幸せな瞬間を切り取るように明るい色彩とシンプルなグラフィックで表現した作品には「僕自身が表現したいことと共鳴せざるを得なかった」と述懐しています。「確かに、僕たちの人生をみればしんどいことの方が圧倒的に多いんだけど、きっとみんなが分かりあえて楽しめることもある」ことを分かりやすく伝えています。そういったものをネオンで表現したいと強く思うようになります。

 また、イギリスの現代作家、ギルバート&ジョージの大胆な構図と色使い、そしてタブーとされるモチーフを平然とやってのける気概に驚きます。そして、ミニマルアートという分野を確立したダン・フレヴィンのネオンや蛍光灯を使った一連の作品により、単純かつ簡潔な光の演出効果に惹かれるようになります。

 更に語りかけるのは、国境や民族、政治、宗教など人間が独自にカテゴライズしたものに必要以上にとらわれることへの危惧です。「人が生まれて死んでいくそれぞれの人生の中で、一つだけ信じられるものがある」ことをSTRIPESのミニマルな作品は表現しています。私たち、人間の歴史の流れを俯瞰してみますと、小さな対立から揺らぎが生じ、人々の感情は昂り、そして争いが生まれます。

 その小さな対立の素因となるもが、作為的であることも否めません。そういった偏見やねつ造など人為的なものを極力省いていくと根底に流れている何かが分かることがあります。それは、自分自身を律することで見られるものでもあり、連綿と続く人の営みに分かりやすく垣間見られます。「例えば、子供が笑っていることや、家族の団らん、友人との語らいといった確かな良きこと」です。

 自然や私たちの営みの奥底に流れている確かなものを直線引きのネオン管で、そして、連綿と続く私たちの営みを均等な配列で表現しています。政治や宗教、または道徳といった人為的なものは私たちの智恵として生まれたものですが、「それが、今、大きな転換期にある」とSHUは感じています。私たち人間に本来備わっている確かなもの。それは良心といわれるものより深淵なところにあり、単純かつ明解な、生きていく上で自然と備わったものです。

 人々の心、私たちをとりまく現象の奥底にはひとつ必ず信じられる確かなものがあるならば、また、自然現象と同じく「実に見事に調和されている」のであれば、国境や民族、宗教観を乗り越えて、お互いに分かりあえることがあるように思えます。

 

                                                                  八木 健一