ネオン アンド ストライプス

代表 藤本修一

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neonandstripes

@ybb.ne.jp

BIOGRAPHY

ネオンの本場L.Aで鍛えた確かな技術

アメリカのアンティーク・インテリアや雑貨などの輸入に携わり、初めて当地に赴いた時、キース・ヘリング、アンディー・ウォホール、リキテンシュタインなどニューヨークのポップアートに強い印象を受けました。それとともに、当時、アメリカではネオンサインがカフェやバーは勿論のことあらゆる場所に見られ、それが街並みに溶け込む様に光る美しさに憧憬を持ちました。

 

単身渡米し、武者修行

 ネオンが空間に与える影響を強く意識するようになります。日本のネオン業界は工芸品として職人の技術の探究に重きを置き、ネオンアートと云われる分野は確立されていませんでした。そこで、一念発起し渡米。87年にMUSEUM OF NEON ARTMONA)所属のアーティストKUNIO OHASHI氏に師事し、パターンの引き方からネオン管のベンディング(曲げ加工)、ポンピング(ガスの注入)、光の発色とネオン特有の照度といった基礎を固めに邁進しました。

 卒業制作での地球全体を円柱状のブリキ缶に細かく這わせるようにした作品が一定の評価を受け、ロスアンジェルスのNEON WORLDという工房で商業美術から舞台、映画作品のセットに使われるものまで様々な作品を制作しました。特に、映画「トータル・リコール」と音楽番組「ソウルトレイン」の舞台演出に参加できたのは感慨深いものがあります。というのは、映画の「ブレードランナー」でのネオンの使い方の巧みさに驚き、近未来的な演出効果をいつかやり遂げたいと思っていたからです。

実際にビジネスとして成り立つためには、施工の特殊技術が必要になります。そのため、ネオンサインの取り付け専門会社NEON ILLUMINATIONで一年間、現場に立ち、ネオンのデザインから最終取り付け、アフターメンテナンスまで習得することができました。

 

アートとしての造形美と光の演出を

帰国し91年、THC9 NEON STUDIOに所属。大阪のソニープラザでの展示など商業美術を制作する一方、ネオンアートの可能性を追求する作品の制作にも力を入れていきました。

その後、アーティストとしての表現を強く重視するようになり、作品の制作に没頭するようになります。前述したように初の渡米の際、アメリカのポップアートのグラフィカルで大胆な構図に強く印象を受け、そのような平面の作品にネオンを組み合わせることで違った新たな印象を与えることはできないだろうかと考えていたからです。

そこで、92年にグラフィック・アーティストの森脇啓介(a.k.a POCHI)とアートユニット「ノクティルカ」を結成。個展を開催し、これをきっかけに様々なアーティストとの交流が深まり、コラボレーションによる作品が誕生するきっかけになりました。

 

光だからこそ空間をトータルに

こういったアーティストとの交流は私自身の表現の幅を広げるだけでなく、ビジネスの面でも大きな変化に結び付きました。

ネオンアートに光の演出効果があるだけに空間全体をトータルで表現したいと常日頃、意識していました。それは什器など小さなものから始まり、カフェのデザイン、内装、インテリアなどに広がりました。クラヴ・レストランを数人のアーティストたちと共同で、アートディレクションから店舗のデザイン、施工にいたる総合的な空間造形として表現できたことがひとつの集大成となります。

その後、ファザードやウインドウディスプレイ、インスタレーション、デザイナーズブランドの旗艦店の演出と手掛けていくことに繋がり、03年にNEON&STRIPESを設立し、数々のアーティストと協業し店舗の総合プロデュースに加わりながら、新たなネオンアートの可能性を探究しています。